2021-03-30 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
沖縄統合計画に記載のあるマスタープラン、言わば配置計画でございますが、このうち、これまでにキャンプ瑞慶覧、キャンプ・ハンセン、トリイ通信施設、嘉手納弾薬庫地区、いわゆる知花地区でございますが、このマスタープランを日米合意してございます。
沖縄統合計画に記載のあるマスタープラン、言わば配置計画でございますが、このうち、これまでにキャンプ瑞慶覧、キャンプ・ハンセン、トリイ通信施設、嘉手納弾薬庫地区、いわゆる知花地区でございますが、このマスタープランを日米合意してございます。
○照屋委員 それでは、次に、これは外務副大臣かな、十一月十六日付の琉球新報朝刊によりますと、戦後、米軍に居住地を強制接収された読谷村旧牧原集落の人々は、去る十月二十五日、米軍嘉手納弾薬庫地区内にある拝所、チチェーン御嶽前で例祭を行い、フェンス越しに手を合わせ、いつの日かもう一度、ふるさとの地を踏み締めてみたいと願ったようです。
嘉手納基地と嘉手納弾薬庫の面積を二つ合わせてみると、今現在本土にある主要なアメリカ軍基地の面積を全部合計しても、沖縄の負担が大きいんです。そのぐらいの、安全保障上の責任を負うぐらい、与党は誰か言うべきですよ。 そんな負担を一方に押しつけて知らぬふりする。そして、政権が飛行訓練を佐賀に持っていこうとしたときに、佐賀の人たちが反対したからやめますと。
委員お尋ねの所有者不明の土地は沖縄県にのみ存在をしておりまして、嘉手納弾薬庫地区など八の施設におきまして合計三十六筆、面積にいたしますと約〇・〇〇四平方キロメートルございます。 これらの所有不明の土地の取扱いにつきましては、沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律第六十二条の規定に基づきまして、県又は市町村が管理をすることとされております。
隣接する嘉手納弾薬庫と合わせた施設面積は、本土にある主要六基地、三沢、横田、横須賀、厚木、岩国、佐世保と、この合計を上回る、そういう面積がまだ沖縄には残るわけです。嘉手納基地群を一つ見ても、沖縄の負担はなお重いわけです。 確かに、日米両政府間の合意形成の積み重ね、国家間の約束事でもあるんでしょう。
他方、海軍駐機場の移転先に保管庫が所在していたことから、米側と保管庫の移設先について運用上の観点等を勘案して協議した結果、市街地から可能な限り離れた嘉手納弾薬庫地区内に移設することで日米間において合意をいたしました。 私どもとしては、市街地から可能な限り離れた場所ということで、今回の計画を進めさせていただいております。
さて、もう一点、防衛省に、同じく十一月九日の日米合同委員会において、「嘉手納飛行場における海軍航空機の運用の移転に係る海軍駐機場の建設について」との件名で、嘉手納弾薬庫地区内への保管庫の建設が合意されております。 かかる保管庫とは、どのような施設でしょうか。従来、嘉手納飛行場前にあった施設の嘉手納弾薬庫地区への移転と捉えてよろしいのでしょうか。保管の対象を具体的にお答えください。
大臣に伺いますけれども、嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫は、これは提供施設は同じですか。違うんじゃありませんか。その上で、今回の保管庫建設は海軍駐機場移転に伴うものであるにもかかわらず、なぜ嘉手納飛行場内につくらないのでしょうか。嘉手納弾薬庫につくる理由、必要性について大臣に尋ねます。
この件に関しましては、本年十月十日、沖縄県から沖縄防衛局に対しまして、嘉手納弾薬庫地区の視察に係る調整をお願いしたい、どのような内容で調整するかについては、沖縄県において検討の上、改めて連絡するという旨の御連絡をいただいたところでございます。
○赤嶺委員 次に、嘉手納弾薬庫、これについても聞きます。 以前出してもらいました在沖米軍基地の二4(a)使用の一覧を見ますと、嘉手納弾薬庫地区については、「自衛隊が隊舎施設等、不発弾処理場、火薬類の貯蔵施設として、陸上自衛隊が汚水管の埋設用地、弾薬庫の用地として及び給水のため共同使用する。」このように述べております。 この「隊舎施設」、これはどういうことを指していますか。
○赤嶺委員 実は、この廃弾処理場は、一九七八年に、沖縄の本島中部にある嘉手納弾薬庫の一部返還に伴って移設してきたものです。当時、移設条件をつけて名護市に代替施設を建設した、これが今、市民の騒音被害につながっているということではありませんか。
また、返還に向けたこれまでの取組として、牧港補給地区の移設先であるトリイ通信施設のマスタープラン及び嘉手納弾薬庫地区の知花地区のマスタープランについて日米間で合意したところでありまして、防衛省としましては、この統合計画を着実に実施をいたしまして、沖縄の負担軽減を目に見えるものとするために引き続き努力をしてまいりたいと思っております。
当時は、嘉手納弾薬庫、嘉手納飛行場、宜野座村の潟原海岸、浦添市の牧港地先、ホワイトビーチ沖、キャンプ・シュワブ、次々と挙がり、移設先探しは混迷したわけですね。だから、自民党が民主党をいろいろ言うのはちょっと、自分たちも混迷していたよなという反省の上に立っておっしゃるのであれば納得するんですが、余り納得できない議論であります。
これまでの具体的な成果といたしましては、既に陸軍倉庫の移設先であるトリイ通信施設のマスタープランを日米間で合意し、地元の御理解を得た上で、統合計画よりも一年前倒しで埋蔵文化財調査の試掘を実施しているほか、国防省支援施設移設先であります嘉手納弾薬庫地区の知花地区への移設についても、マスタープランの概要について昨年九月に地元の沖縄市長に御説明し、先般一月三十日、日米合同委員会において合意をしたところでございます
これまでの具体的な取組といたしまして、既に陸軍倉庫の移設先でございますトリイ通信施設のマスタープランを日米間で合意し、地元の御理解をいただいた上で、統合計画よりも一年前倒しで埋蔵文化財調査の試掘を実施しているほか、国防省支援施設移設先でございます嘉手納弾薬庫地区の知花地区への移設につきましても、マスタープランの概要について、昨年の九月、地元の沖縄市長に御説明し、先般一月三十日、日米合同委員会において
その上に立ってさらに見ますと、続いた資料がまたありまして、ここには「沖縄本島における恒常的な共同使用の構想」というふうに書いていまして、見てのとおり、沖縄本島の地図の上に、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、嘉手納弾薬庫をこのように赤く塗りまして、共同使用の対象としていることを一目でわかるようにしているわけです。
沖縄県内の米軍提供施設・区域の中で、自衛隊が日米地位協定第二条第四項(a)の適用ある施設・区域として、現在共同使用しております施設・区域の名称としては、八重岳通信所、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、嘉手納弾薬庫地区、ホワイトビーチ地区、那覇港湾施設、陸軍貯油施設、出砂島射爆撃場、津堅島訓練場となっております。
嘉手納弾薬庫地区内の知花地区におきましては、提供施設・区域内に境界フェンスがなく、基地の関係者以外も現在自由に出入りが可能な状態にございます。このため、委員からも先ほど御発言がございましたとおり、広範囲にわたりまして無許可の耕作地及び物件が存在しているのが現状でございます。このため、今後予定されております統合計画に基づく、いわゆる移設先の環境整備に影響を与える可能性がございます。
まず、嘉手納弾薬庫の知花地区です。知花地区は牧港補給地区の移設先とされておりますが、どのような施設がどのくらい移設されるんですか。
嘉手納弾薬庫地区内の現在実施しております知花地区におきます実態調査は、まさにこの知花地区全体におきます将来にわたる米軍による施設・区域の適切な管理が可能となるということも目的としておりますけれども、先ほど触れさせていただきましたように、当該地区におきましては、いわゆる牧港補給地区からの移設物件の施設整備というものも予定されておりますので、こういった観点からは、移設先の環境整備ということで関係があるということでございます
私は、そのB52が飛び立つ嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫の間の道路を通って職場に向かうんです。彼らはトレーラーに爆弾を満載して弾薬庫から出てくると、沖縄県民の車両は全部止めて、十分も十五分も二十分も止めるんです。止めて、飛行場に爆弾を積み込んでいって、ベトナムに行って無差別に投下をしていくわけです。ですから、沖縄におる海兵隊たちは言うんです。
できるかどうかわかりませんけれども、手元に情報があります例といたしましては、千葉県の木更津飛行場の境界さく、倉庫等の移設、東京都多摩サービス補助施設の境界さく、門、倉庫等の移設、神奈川県綾瀬市厚木海軍飛行場の境界さく等の移設、同相模原市相模原住宅地区の境界さく、門等の移設、長崎県赤崎貯油施設の境界さく、門、倉庫等の移設、沖縄県金武町ブルー・ビーチ訓練場の進入路の移設、キャンプ・コートニーのボイラー室、燃料タンク等の移設、嘉手納弾薬庫地区及
駐留軍用地、施設として提供していただいている土地が将来長期にわたり返還の見込みがないということが一つの要件となっているわけでございますけれども、その要件等を踏まえまして、控除の対象となる駐留軍施設用地は具体的にどこかということでございますけれども、米軍再編のロードマップ、それからSACO等で全面返還となっているものにつきましてはこの要件に該当するというふうに考えておりまして、例えば嘉手納飛行場、嘉手納弾薬庫
フレアを発射した場所は嘉手納弾薬庫の上空であり、一歩間違えれば大惨事になりかねないものでありました。 外務大臣、今回の事故の概要、そして大臣の認識について伺いたいと思います。
平成二年六月の日米合同委員会において、沖縄における施設・区域の整理統合問題の解決のために、返還に向けて日米間で作業を進めることが確認されたわけでありまして、具体的には、平成八年三月二十八日の日米合同委員会において、同ゴルフ場を嘉手納弾薬庫地区へ移設するということを条件に返還が合意されました。この合意に基づいて、同地区へ移設整備事業、いわゆるリロケーションとして移設されたものであります。
では、具体的に少しこの米軍に対する負担の問題に関連して聞きたいと思うんですけれども、ことし三月に、沖縄県の米軍嘉手納弾薬庫地区に十八ホールの米軍新ゴルフ場がオープンをいたしました。タイヨーゴルフクラブというものであります。 パネルをごらんいただきたいんですけれども、このクラブハウスの入り口にはこういうプレートが掲げられております。